アップデート(更新)されていく仏教
所説ありますが仏教は紀元前7世紀~5世紀ごろ北インド出身の釈迦の説法によって始まりました。釈迦が生きた時代には大切なことは文字に書き起こしてはいけない、という社会的な風習があったため経典は作られませんでした。しかし、釈迦の死後、釈迦の教えはだんだんと風化していき、仏教の修行者たちは次第に怠けたり、間違った解釈をしたりするようになっていきました。危機を感じた一部の仏教徒たちは、お釈迦様がどういう教えを説いていたのかもう一度整理して、文字にしようと思い始めます。そこで書かれたものが現在の経のルーツとなっています。
ということは、経典というのは釈迦が説いた教えそのものではなく、釈迦の教えは「こうだったよね」と後世の弟子たちが書き起こしたものなのです。しかもそれは、釈迦に直接教えを受けた弟子だけでなく、釈迦の没後(入滅)何年・何百年も後の弟子さえも含まれます。現に天台宗の根本経典である法華経は品(章のようなもの)によって成立年代が異なるとされていますが、1世紀~3世紀に成立しています。少なく見積もっても釈迦が説法をした時代から500年以上経っています。しかも、釈迦の説法は当時パーリ語という言語で説かれていましたが、法華経はサンスクリット語で書かれました。さらに、中国にわたる際に漢訳され、その漢訳されたものを日本語で解釈しています。このような、時代・言語を乗り越えてきたことは仏教の力強さを感じるところでもありますが、反面釈迦の教えとはかなりズレが生じてしまっていることは否めません。
これはキリスト教であれば聖書、イスラム教であればコーランというふうに言語が変われども、一つのものを中心に置く宗教と仏教の大きく異なる点の一つかと思います。そういった特性もあいまって日本では更に、密教を中心に考える宗派や、念仏を中心に考える宗派、禅を中心に考える宗派と更なる発展をしていくことになります。
釈迦は対機説法という説法の仕方をしていました。初心者にいきなり上級の教えを与えても理解できないだろうし、上級の者に初心の教えを説いてもあまり意味がありません。説法を受ける人によって話し方を変えるというのが対機説法です。そういった説法をしていたので、パーリ語の原始仏教をみても、釈迦の言うことはたまに矛盾が生じていると感じることもあります。しかしそれは、現段階の相手に対して一番必要なことを伝えているので、人が違えば説法の内容も異なるという意味であって、釈迦自身の中では悟りに向かう道が見えていたのだと思います。
そういった釈迦のスタンス(姿勢)を考えると、先に行った時代や言語によるズレや、その国の時代背景や風習に応じて教えが分岐したり発展したりしても特に不思議に感じることはありません。お釈迦様に聞くことはできませんが、むしろそれこそお釈迦様が望んだ仏教の形とさえ思えるような気がします。
先に悟りに向かう道と言いましたが、道は1本ではありません。江戸に向かう五街道があるように、目的地は同じでも、みなスタート地点が違うので違うルートを選択する人もいるはずです。また、最短ルートではなく回り道をする人や、たまに戻ってしまう人もいるはずです。重要なことは目的地に到達したいという気持ちと、一歩ずつ歩みを進める行動です。ですから、まだ仏教のことはよくわからないから、という理由で自信を無くす必要もありません。なぜなら、今自分が感じている仏教がお釈迦様からいただいている、「自分だけのお経」だからです。もしかすると1年後は違う教えになっているかもしれませんが、それは自分が前に進んで見える景色が変わったのかもしれません。仏教の悟りに向かう道のりを仏道と言います。ナビゲーションがあるわけではないので道を間違えていないか不安になることもありますが、私たちは2500年前の仏教徒たちと一緒に旅をしています。過去の教えに触れながら、おしゃべりするような気持で旅路を楽しんでみてはいかがでしょうか。
*文脈応じて、釈迦・お釈迦様、経・お経の言い回しをあえて変えています。