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写経会【毎月第4土曜日開催】

般若心経 写経会参考資料 その7

 

【原文】

故知般若波羅蜜多

是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒

能除一切苦 真実不虚

故説般若波羅蜜多咒 即説咒曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経

(漢字はすべて現代漢字)

 

 

【和文】

故に知る般若波羅蜜多は

是れ大神咒なり 是れ大明咒なり 是れ無上咒なり 是れ無等等咒なり

能く一切の苦を除きて 真実にして不虚ならず

故に般若波羅蜜多の咒を説かん 即ち咒を説いて曰く

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経

 

【意訳】

それ故に般若波羅蜜多を(以下のものだと)知る

般若波羅蜜多は、大神咒であり、大名咒であり、無上の咒であり、等しきなき咒であり

すべての苦を除くことができ 真実であり虚ではない

よって般若波羅蜜多の咒を説く いま咒を説くところは

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経

 

【用語解説】

咒  梵文の呪文を翻訳をせずにそのままお唱えすること

    短いもの・・真言

    長いもの・・陀羅尼(だらに)

神咒 真言のこと

無上 この上ないこと

無等等 等しいものがない=最上の

 

【参考解説】 いよいよ般若心経の最終の箇所になります。般若心経の中でも一番パワーが溢れ出しているところです。般若波羅蜜多(悟りへの知恵の完成は)はこんなものだと知った、という内容から始まります。

 ではそれはどんなものかというと、「是れ大神咒なり 是れ大明咒なり 是れ無上咒なり 是れ無等等咒なり」と記されています。これは般若波羅蜜多への賛辞のような部分です。咒というのは、おもて面の用語解説にもあるように真言や陀羅尼のことを表します。これらは、梵語(お釈迦様の生きた時代の言葉)をそのままの状態で読み書きされたものを指します。塔婆や墓石などに描かれる一見記号なような文字が梵語です。これらの梵語は、真言や陀羅尼とされ、ただの文字というだけでなく仏様そのもの、または教えそのものを象徴させる力のある言葉として用いられます。語弊があるかもしれませんが呪文のような役割も担っています。これは仏教伝来のなかで、特に密教で大きく発展してきました。つまり、このようなすごい力を持った咒であることを知るというのがここでの経文の意味合いです。

 そして、それはすべての苦を除くことができて、真実であり虚ではない。これまですべてのものが空である言ってきた中で、それも含めてこれが真実であると念押しているようにも感じることができます。

 その次にその咒を説くとこうなります、とおいて咒が始まります。

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経

梵語の読みに漢字を当てた部分です。梵語の読みをカタカナで表すと以下になります。

ガーテー ガーテー パーラガーテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハ

訳は諸説ありますが以下のような訳があります。紀野一義『般若心経を読む』より

往ける者よ 往ける者よ 彼岸に往ける者よ 彼岸に全く往ける者よ 悟りよ 幸あれ 

 仏教における真言というのは、単純な呪文のようなものですが、その中に仏様そのものを含んでいます。仏様というのはこの世界の真理すべてを表しています。したがって、真言の中に含まれるものは、実に広大無辺で計り知れないものです。般若心経は冒頭に観自在菩薩(観音様)が得た悟りを、お釈迦様の十大弟子のひとり舎利弗(しゃりほつ)にお説法するところから始まりました。その結びとしてこの咒が用いられたこと、それは般若波羅蜜多を得ていない私には到底理解の及ばないことだろうと思います。恐らく、舎利弗にっとってもまだ理解できないだろうと分かっていた観自在菩薩様は、自らの得た悟りを「羯諦羯諦‥」という言葉にのせてイメージを伝えたかったのかな、と私としては捉えています。これまで、理論第一で、理詰めの経文が続いてきたので、ここで急に呪術的なものが飛び込んでくると一見違和感があるようにも感じられます。

 ただ、やはりこれも確信をついていいて、頭(理論)だけでは理解できないもの、それが悟りであると明確に表しているのだと思います。般若心経の序盤から中盤にかけての理論的な部分をしっかり理解した上で、それを私たちの実生活の中で見出し、体で感じることが重要だという意味ではないかと考えています。私たちの身の回りにある空の真理を受け入れ、そこに私たちの存在を再確認し尊さを知る、そういったプロセスの中には、頭で理解することと体で感じることの二面があります。その感じることを表したのが羯諦羯諦以降の経文ではないかと思います。

 道のりは長いかもしれませんが「仏の教えを頭で理解し、生活の中で実践しようとする」これを繰り返すことで私たちは少しづつ仏そのものに近づいていきます。理解と実践をつなぐものが、写経であったり読経であることは間違いありません。円仁様はじめ過去の高僧たちも同じ道を辿っています。そう考えた時、羯諦羯諦というのは観音様が私たちに「行け!行け!」と背中を押してくれる掛け声のようにも感じられる気がします。日本で一番読まれているお経といっても過言ではない般若心経ですが、実は奥が深くて、計り知れないパワーをもったお経です。完全に理解し会得できるかどうかは分かりませんが、それらを心から目指すことによって私たち自身が輝ける存在となり、世の中の隅まで照らすことのできる人間になれるのではないかと考えています。