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写経会【毎月第4土曜日開催】

般若心経 写経会参考資料 その6

 

【原文】

無有恐怖 遠離一切

顚倒夢想 究竟涅槃 三世諸佛

依般若波羅蜜多故

得阿耨多羅三藐三菩提

(漢字はすべて現代漢字)

 

 

【和文】

恐怖あることなし 一切の顚倒夢想を遠離して

涅槃を究竟す 三世の諸仏

般若波羅蜜多に依るが故に

阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり

 

【意訳】

(求道者の智慧の完成に安んじて)恐れがなく顚倒した心から遠く離れて

永遠の平安に入っているのである 三世にいる仏は

智慧の完成に安んじて この上のない正しい目覚めを悟り得られた

 

 

【用語解説】

遠離 遠く離れていること

一切 すべてのこと 残らず

顚倒 煩悩などののために誤った見方、あり方をすること

夢想 あてもないことを心に思うこと

究竟 真理の究極

涅槃 煩悩を断じて絶対的な静寂に達した状態

三世 過去、現在、未来

般若波羅蜜多 悟りに関する智慧の完成

阿耨多羅三藐三菩提 最高の正しい悟り 梵語のアヌッタラサンミャクサンボーディの漢字音訳

 

 

【参考解説】

前回からの箇所と意味が繋がっています。般若波羅蜜多、悟りへの智慧の完成によって心に罣礙(隔たりが)なくなるというところまでが前回の内容でした。罣礙がなくなりさらに恐怖もないということです。顚倒夢想、特に顚倒は仏教において良く使われる言葉のひとつです。顚も倒も、たおれるという意味のある漢字です。夢想も字のごとく夢を想う、あてもなく考えることです。お釈迦様のことを仏陀といいますが、これはサンスクリット(お釈迦様の生きた時代のことば)では目覚めた者という意味です。夢想とはその逆ですから、悟りの反対の意味を指しています。

 私たちの生活を振り返ってみたとき、取り留めのないことで悩んだり、本当なら何でもないことなのにそれにこだわり自分を苦しめることがあると思います。これまでとりあげた般若心経の経文の中に多くの「無」や「不」がありました。それは、私たちが生きていく中で、苦しみの原因だと思っているものはすべて、本当は実体がないのだということを表しています。すべてを空であるととらえることで、ありのままの世界を捉えることができます。そのことによって、私たちが今感じている悩みや苦しみの感じ方を変え、克服できるようになります。そういった状態のことをいわゆる悟り、ここでは究竟涅槃だといっています。涅槃とはサンスクリットではニルヴァーナといいます。意味は「吹き消す」という意味です。私たちの心の中に火のように燃えている煩悩を吹き消し平穏な状態をもたらす。そんな状態が究竟涅槃なのだと思います。

 三世というのは過去・現在・未来のことを指しています。仏教ではお釈迦様の前にも仏の教えを説かれた仏がいて、お釈迦様入滅後の遥か未来にも仏が現れると考えられています。これらは仏の教えの普遍性を表しています。いつの時代であっても仏の教えは真理であるから、過去にそれに目覚める者もいれば、未来にもいるという考え方です。実際に約2千年もの昔に説かれた教えが、今の私たちにも当てはまるのですから、過去、現在、未来において仏の教えが通用することを考えると三世の考え方も理解できるかと思います。その三世の諸々の仏は、悟りへの智慧の完成によって最高の正しい教えを得ることができた、というところまでが今回の部分です。

 般若心経も終盤に入り、まとめの内容にはいってきました。序盤ではすべては空であるということが中心でした。中盤にかけては、それらがなぜ空なのかということで、私たちの身の回りにあるものごとを「無」や「不」で打ち消していきました。そして終盤で、やはり空であると捉えることで悟りが得られるとしています。

 「悟りとは何か」仏教における最大の目的であり、私たちが一番気になるところですが、実は経文には具体的な表現はほとんどありません。般若心経でも究竟涅槃や阿耨多羅三藐三菩提という言葉はでてきますが、一体それは何なのか明記はされていません。一番の理由は言葉で言い尽くせないからだと思います。ただ、経文には多くの場合そこまでに至るにはどうしたらよいかというプロセスは、何度も何度も、また何パターンにも亘り説明します。ですから悟りというのは、仏様が残した悟りへのプロセスを、よりたくさん私たちの中に取り込みながら生活することで見えてくるものなのかもしれない、と恐れ多くも個人的には考えています。

 般若心経における悟りへのプロセスを集約してあえて言葉で悟りを表すとしたら、世界をどれだけありのままに、しかも肯定的に受け止められるかということかと思います。私たちは本当に小さなことで悩み苦しみます。生きているだけで、貪り、怒り、愚痴に代表される煩悩がでます。それを断つにはどうしたらよいか。これは非常に難しい問題です。若かりしお釈迦様も一生懸命に考えました。そこから出た答えは、自分で煩悩を消すことではありませんでした。真実を観ることによって、煩悩の原因それ自体を受け入れることのできる包容力を持つことができます。それによって心が平安になります。その先にお釈迦様は涅槃を得ました。私たちの苦しみや悩みの原因は、仏様の包容力のあるものさしで測れば、全然大したことがありません。それでも、私たちは視野が狭くなり小さな世界で右往左往しています。お釈迦様でさえもそこに至るまでは苦労を重ねました。ですから、私たちにとめどなく煩悩が沸き起こり処理できなくなることなど当たり前なのです。ですから、「仏様のものさしとは何か」ということに向き合うために、般若心経を読誦し、お写経をすることが非常に大切になってくるのだと思います。般若心経に触れるたび私たちの生活を反省し見直すことが仏教の修行ではないかと考えています。