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写経会【毎月第4土曜日開催】

般若心経 写経会参考資料 その5

【原文】 無苦集滅道 無知亦無得

以無所得故 菩提薩埵

依般若波羅蜜多故

心無罣礙 無罣礙故 (漢字はすべて現代漢字)

【和文】

苦集滅道もなく 智もなく亦得も無し

所得なきを以ての故なり 菩提薩埵

般若波羅蜜多に依るが故に

心に罣礙なし 罣礙がなきが故に

【意訳】

苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない

知ることもなく得ることもない

それゆえに得るということがないから 求道者の智慧の完成に安んじて

心が覆われることがない 覆われることがないから

【用語解説】 四諦 人生に関する4つの真理(諦は真理の意味) 苦諦 人生は苦であるという真理 集諦 苦の原因に関する真理 滅諦 苦を滅した悟りに関する真理 道諦 悟りに至る就業方法に関する真理 菩提薩埵 (菩薩と同じ意味)悟りを求めて修行する人 般若波羅蜜多 悟りに関する智慧の完成 罣礙 罣=網、礙=妨げるもの

 

 

 【参考解説】 最初の苦集滅道というのは、お釈迦様の教えの中でも最も基本的なものであるといえます。お釈 迦様が仏門に入るきっかけにも通じています。苦諦というのは私たち人間が肉体と精神を持つこ と、それ自体が苦であるという真理です。我々が生きること、それは精神と肉体が活動すること です。しかしながらその働きこそが苦の原因であるとお釈迦様は考えました。集諦というのは、 肉体と精神によって生み出される欲望などの煩悩があるという真理です。滅諦とは欲望や、感情 を制し精神を高尚なものにすることが涅槃であり、それによって苦を消滅できるという考えで す。道諦とは涅槃に到達するためには正しい道を実践することが必要であるということです。つ まりは、この苦集滅道では苦しみの原因をつきとめそれを克服する、そのプロセスが示されてい ます。このことによって、お釈迦様をはじめ、私たち仏教徒はただ漠然と感じる苦ではなく、そ の原因と対処法を見いだすことができるようになるのです。  しかしながら、般若心経ではそれも「無」また、それに付随するような知ること、得ることも 「無」とされてしまいます。これはどういうことでしょうか?これは教えの段階によるものであ ると考えられます。お釈迦様の教えはその場面によって五つに分けることができます。これを五時 (ごじ)といいます。華厳時(けごんじ)鹿苑時(ろくおんじ)方等時(ほうどうじ)般若時 (はんにゃじ)法華涅槃時(ほっけねはんじ)の五つです。文字でなんとなくお分かりになるか もしれませんが、般若心経は四番目の般若時にあたります。五段階あるうちの四番目です。般若 心経はお経のなかでは一番良く知られているといっても過言ではありませんが、内容的にはかな り高度な教えの部類に入ります。  ですから、前回出てきた「十二因縁」、今回の「四諦」、これらの教えもある段階では真理で はあるのですが、それを超えて次の段階になったときにはまた違った見方にもなることもあると いうことなのです。般若時の段階では、苦しみの原因であるとか、その克服の仕方であるとか、 そういったものでさえもこだわりを持たなくなるという意味なのだと思います。  こだわりというのは仏教で嫌われるもののひとつです。何かに固執することによって、私たち は苦を作り出してしまいます。本当は、私たちの周りに沢山ある幸せの種を、何かに固執、執着 することによって見落としてしまいます。そういった執着がなくなること、つまり罣礙がなくな ることで、般若波羅蜜多(悟りへの智慧の完成)に近づきます。般若波羅蜜多である菩薩(悟り を目指す者)は罣礙がないといって今回のところは終わっています。  般若心経は般若時に至るまでの様々な教えを踏まえて語られているので、般若心経単体では理解 が難しい部分も確かにあります。さらに、私の説明がつたないのでさらに困惑されている方も多 いともいます。室町の能役者、世阿弥の花鳥風月の中に九位習道の次第という一節があります。 簡単にいうと物事を学ぶ時、まずは中級を学びなさい。そのあとに上級、最後に初級にもどりな さい。ごく大まかに言えばこのような内容です。その真意はまた諸所あるかと思いますが、私た ちが般若心経を知ろうとした時、それが般若時の教えだからといって尻込みする必要はないので はないかと思います。世阿弥のお言葉に背を押してもらいながら、何度も読誦し、何度も写経す ることでじわりじわりと般若心経が私たちに染み込んでいくのを待つことも正しい修行なのでは ないかと思っています。  余談ですが、日光の華厳の滝の「華厳」はお釈迦様の教えの五段階(五時)の華厳時を表して います。実はその先に鹿苑、方等、般若、涅槃の滝があるそうです。私たちが知っていると思って いるものにも新たな発見があります。仏教の教えは私たちの生きるということに直結しており、 どんな教えも私たちのどこかに当てはまるようになっています。そんな発見を期待しながら、仏の教えに耳を傾けてみることが私たちの人生をよりい豊かにするのではないかと思います。