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写経会【毎月第4土曜日開催】

般若心経 写経会参考資料 その3

 

【原文】

舎利子 是諸法空相

不生不滅 不垢不浄

不増不減 是故空中無色

無受想行識

 (漢字はすべて現代漢字)

 

【和文】

舎利子 是の諸法は空相にして

生ぜず滅せず、垢ならず浄ならず

増ぜず減ぜず、是の故に空中に色もなく

受行想識もなく

 

【意訳】

シャーリプトラよ この世においては、すべての存在するものには実体がないという性質 がある。生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。 それゆえに、実体がないという立場においては、物質現象もなく、感覚もなく、表象もな く、意志もなく、知識もない。                              

 

【用語解説】

諸法  宇宙(世界)に存在する有形、無形のあらゆる事物

   性質、特徴

   けがれ、仏教では煩悩のことを指す

空中  空の中ということ

五蘊  (しき) ルーパ ものごとの形

        この世にあるもの

     (じゅ)ヴェーダナー 感覚

        楽しいことや、辛いことを感受すること

(そう) サンジュニャー 表象

       赤を赤と見分けられる働きや、赤と白を見分ける働き

      (ぎょう)サンスカーラ 意志

        私たちのこころが向かうこと

      (しき)ヴィジュニャーナ 知識

      (げん)()()(ぜつ)(しん)()で感じられること

 

 

 【参考解説】

今回のところは、また観音様がお釈迦様の弟子であるシャーリプトラに呼びかけるところからはじまります。「是の諸法は空相にして」のところに普段では聞き慣れない言葉が出てくると思います。仏教において諸法というのは、宇宙全体のありとあらゆるものを指します。ですから諸法の中には、「私」も含まれ ますし、目の前にある「机」、また人の「気持ち」さらに社会の原理や自然の摂理のような概念的なものさえも含まれてきます。要するに、本当の意味での全部といって良いと思います。空相というのは空の性質という意味です。相は仏教では性質という意味があります。ですから「是の諸法は空相にして」の部分は、この世界のありとあらゆるものには空の性質がある、という意味になります。空については前回の資 料で扱った、空仮中という考え方を参考にしていただければと思います。私たちの世界は常にうつろいゆき儚いものだけれど、だからこそ一期一会の出会いや存在を感じることができる。それが「空」であると前回記しました。

  すべてのものごとが空である、その次のところには「不」の字が続きます。不生不滅不垢不浄不増不減、という様に、生ずること滅すること汚れること浄らかなこと増えること減ること、これらすべてを否定しています。そうは言っても、私たちの世界では確かに、生や滅、増や減、があるように見えます。しかしながら、これも深く考えると般若心経に書かれてることは真実であることが分かります。中学校の理科で習うことから、一つ例をあげたいと思います。氷から水、水から蒸気に変わる時、形や体積は変わる けれど、重さ(質量)は変わらないという法則があります。箱の中で、氷が水に変わり水が水蒸気になっても、箱の中のものの形は変わっただけで、箱の中のものの量は何ら変化していないのです。それを考えると、我々人間の生と滅も同じことが言えます。自分たちの親が生き物をいただき栄養を摂り、私たちが 生まれる。そして私たちが死に灰になって生き物の栄養となる。この時世界の物質は形を変えただけで何も増えても減ってもいません。また、動物の糞を見て汚いと普通は思います。しかし、その動物が食べたものは目にも眩しいい深緑の草だったり、きれいな花の朽ち果てた後、その栄養を摂った虫かもしれません。これも、きれいな花や草の形が変わっただけです。なんとなく屁理屈のように聞こえるかもしれませ んが、真剣に世界を見つめるとこのような揺るぎない性質が見えてきます。

ここまでの内容を立ち止まって考えてみると、すごく後ろ向きな考えなのかと思ってしまいます。仏教に触れるとき、なんとなくネガティブにとらえてしまいがちです。それは現代の私たちにとって馴染みの少ない漢文でずっと書かれているせいもあるからなのかもしれません。ただ、これだけは仏教を通じて言 えることだと思うことが一つあります。それは、仏教の教えは極めて前向きでポジティブな姿勢で私たちのあり様を捉えているということです。基本的には、今の私たちがどうやったら前向きに、自分を肯定的に捉えてやっていけるかを考える方法を説いています。更に、そんな自分を目指すことで周りの世界にも良い影響を与えあいましょう、というメッセージをお経の随所から汲み取ることができます。

  ですから、この「不」の連続するところも必ず前向きに捉えられるはずです。生、滅、垢、浄、増、減、 というのは私たちにとって一大事です。自分が生まれること、自分が死ぬこと、自分が汚い精神を持っていると思われることとその逆、自分の資産が増えることと減ること、いざ自分に置き換えると重大なことばかりではないでしょうか。これらの重大な出来事に対して私たちが、観音様に相談に行ったとしたら、次のように教えられるのではないかと思います。

  宇宙の規模、歴史からしたら、あなたが生きたり死んだりすることさえも、ほんの小さな、見えないくらい小さな出来事なのですよ。(水の例えでもあったように)形が変わっただけなのです。だから、私たちとって、生、滅、垢、浄、増、減のようなことは重要なことかもしれないけど、本当はそこまで重大な ことではない。むしろ、それらにこだわることによって私たちの苦しみや悩みが出てきてしまう。このことが、今私たちの存在を肯定的に感じられない原因を作っているのです。人と比べたり、自分の固定観念に縛られて、増える減る、などのことを考えても、幸せにはなれません。今いる環境や、今いる自分が周りの一期一会の存在に支えられ存在している、この現状に感謝し有り難いと思えるようになりなさい。 勝手な想像ですが、般若心経の観音様のお言葉を追っているとそんな性格が垣間見られる気がしました。そういった強い呼びかけが、6個の「不」に託されているのではないかと、私は考えています。

 

  これまでの理由で空という概念の中には色受想行識(これらを五蘊、おもて面の用語解説にあるので説明は割愛します)もないのです。というところで結ばれています。