比叡山世界宗教サミットに参加して
去る8月4日、比叡山にて行われた世界宗教サミットに参加する機会がありました。36回目を数える集いで、日本の各宗教・宗派を越えた指導者が各々に世界平和や宗教の相互理解に向けて主張を述べるサミットです。
それぞれの宗教にそれぞれの平和への想いがあり、感銘を受けました。中でも、日本ムスリム協会の会長の言葉が心に残ったのでご紹介したいと思います。
ある日あるイスラム教徒が、この世に神はアッラーだけだ、という内容の言葉を口にしながら、とある神社の賽銭箱を破壊し、中の浄財を持ち去るという事件が起こりました。そのイスラム教徒の所属するモスクの担当者は、すぐにその神社に謝罪に行きました。その際その担当者は神社側に次のことを伝えました。
・神聖な神社の境内で破壊、窃盗を行ったことへの謝罪。
・イスラムの教えでは他人の神を否定してはならないという教えがコーランに書かれており、破壊、窃盗を行った教徒は明らかに間違った思想を持っていたということ。
神社側もこれらの内容を理解し、その後のコミュニケーションの結果、神社で行われている縁日をイスラムのお祭りと併せて、共同で行うようになったというお話です。お互いの関係はマイナスからのスタートでしたが、その出来事をもとにお互いがコミュニケーションを取ることによって、以前よりもプラスの関係になりました。
私たちが信じるものや、正しいと思い込んでいることは、相手に対してもそういうものだと思いがちです。仏教徒であれば、仏様はどこにいるのかということを理解しなければならないと思いました。仏さまは私たちの心の中に存在します。もっと言えばすべての存在は私たちの心の中に起きる現象としてとらえることが出来ます。
だからこそ、同じ絵を見ても人によって感じ方が違うのです。絵が目を通して私たちの心の中に置かれたとき、はじめて人間はその絵を感じることが出来るのです。ですから、自分の外側にある絵は、自分の中でしか触れることはできません。これを般若心経の中では色即是空と表現します。私たちの中にいる仏様は確かに仏様ですが、おそらくほかの人が思い描く仏さまとは違うはずです。自分が間違っているわけでも、他人が間違っているわけでもありません。誰しも心の中の仏さまを追いかけている途中です。先人たちの教え、周りの人々、ヒントは私たちの周りにあふれていますが、正解はわかりません。でも、確かに完成はあると信じて進み続けることが仏教の本質なのかなと思いました。自分以外の人が信じるものは何なのか、について興味・関心を持つことは、私たちの中の信じるものを明確にするために必要なことなのだと感じる経験となりました。