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写経会【毎月第4週土曜日開催】

師走の師って誰のこと?

 

 12月のことを日本の古くからの呼び名で師走(しわす)ということがあります。漢字としては師が走ると書きます。師というのは、弟子を教える先生や、宗教で教えを広める人を指す漢字です。

 

 師走の言葉の由来は諸説あります。

     お坊さんが12月になると法事が増えるので忙しくなるからという説。

     昔はお寺や神社のお世話をする世話人のことを御師(おんし)と呼び、その人たちが年末になると忙しくなるからという説。

     師というのはそもそも人ではなく、四季の終わりという意味の、四極(しはす)に文字を当てたという説

 

日本語は奥が深いとつくづく思います。どの説ももっともらしいというか、12月を感じさせる美しい言葉ですね。少し脱線しますが、お坊さんを師と呼ぶ呼び方について少しお話したいと思います。

 

冒頭にもお話しましたが、お坊さんは仏教の教えを広める役割があるので、師という漢字が当てられています。しかし、私は日本のお坊さんにはそうでない側面もあると考えています。日本の仏教は大きな区分で考えると大乗仏教(だいじょう)と呼ばれています。大乗仏教とは、簡単に言えば「みんなで仏の教えに向かって進んでいこう」という考え方です。乗るという字があてられているのは、皆で大きな船に乗って仏の教えに向かうという意味が込められています。お坊さんでない人からすると「お坊さんは修行を積んですごい人なんだ」と、思う方もいらっしゃるかもしれませんが、実際には皆さんと全く同じで、仏の教えに向かって修行中で迷ったり行き詰ったりしながら、仏教の目標とする仏の心めざして進んでいます。お坊さんでない人たちは、普段の生活や仕事があるので、毎日仏教のことを考えている訳にはいきません。だから、お寺に住まわせてもらっているお坊さんが代わりに日々研究します。その成果を伝えることによって、皆で悟りに近づこうとするというのが大乗仏教の考え方です。ですから、ある側面では先生的な部分もありますが、基本的には一緒に歩みを進める中の一人でもあるのです。

 

一方で、大乗仏教のほかに、上座部仏教というも区分あります。上座部仏教というのは東南アジアの仏教国に多く、基本的にお坊さんは皆と一緒にというよりは、自分の仏教の修行を進めることを第一に考えます。自分の修行を進める以外のことは何もしません。食事も托鉢と言って、周りの人から食事を恵んでもらいます。食事を準備したり、そのためのお金を準備したりする時間も惜しんで修行に充てるという意味です。見方によっては、自分の修行だけを優先して身勝手なお坊さんだなと思うかもしれませんが、それは全然違います。上座部仏教と一般の人たちの関係は、プロスポーツ選手とそれを応援する人たちの関係に似ている、と私は思っています。プロのスポーツ選手は、自分が試合で結果を出すことを最優先に考えます。それを応援する人は、試合を見に行ったり、スポンサーになって応援したりします。それによって、選手は自分の競技だけに集中できるようになります。その選手を応援する人たちは、その試合や練習過程を見て、勇気をもらったり、感動したりする訳です。上座部仏教のお坊さんを支援したり、信仰したりしている人たちも、それと似た形で、お坊さんの修行する姿を見て、生きる力をもらっているのです。ですから、大乗仏教と形は違えども、皆の心に仏の教えを・・という気持ちは同じなんですね。

 

 最初に、師という呼び名がある意味では日本のお坊さんに適さないのではないかとお話しました。師と言ってしまうと、なんだか距離があって話しかけにくい存在のような気がしてしまうからです。お坊さんは皆さんと同じ船に乗って一緒に目的地を目指す乗組員の一人です。皆さんが常に仏教のことを考えていては普段の生活をすることが難しくなってしまうため、お坊さんは、皆さんの心のよりどころとなるお寺を守り、皆さんの代わりに仏教の教えを研究する役割を与えてもらっているだけです。ですから、こんなことを聞いたらおかしいかな?などは全然気にせず、色々と聞いていただきたいと思っています。すべてを明確に答えられるとも限りませんが、そんな時は責任をもって調べるのが、お坊さんに与えられた役割です。そういった関係が私たちの乗る船の道しるべになっていくのではないかなと思っています。