お坊さんはお肉を食べないって本当?
突然ですが、精進(しょうじん)料理(りょうり)という料理の名前を聞いたことがありますか?
精進料理と普通の料理との大きな違いは、肉や魚が使われないというところにあります。
お坊さんには戒律(かいりつ)という守るべき決まりがあります。そこには、殺してはいけないという決まりがあるために、お坊さんは修行(しゅぎょう)中、肉や魚を使わずに、野菜や穀物(こくもつ)を中心とした食生活を送ります。そういったところから、肉や野菜を使わない料理のことを精進料理というようになりました。
ずばり、私はお坊さんですが肉を食べます。調べたわけではありませんが、私の知る限りでは大半のお坊さんがお肉やお魚を美味しくいただいています。(もちろん、厳(きび)しくきまりを守り修行されているお坊さんもいます。)では、大半のお坊さんが決まりを守らない「ダメなお坊さん」なのでしょうか?
ちょっと、話を戻して「殺してはいけない」という決まりについて考えてみたいと思います。確かに「殺してはいけない」というのは、お坊さんでなくても守らなくてはいけない決まりですね。人はもちろんですが、犬や猫などの命も勝手に奪(うば)ってはいけません。そういった理由から、牛や豚、鳥、魚などの肉を精進料理では使わないのです。でも、よく考えてみると植物だって生きていますよね?植物は死んでしまったら枯(か)れます。でも私たちは、生き生きとしたきれいな色のまま野菜を摘み取り食べています。キャベツもトマトも命を奪われお皿に並(なら)べられています。そう考えると実際には、私たち人間が何も殺すことなく生きていくことは絶対にできないということが分かります。
そういったことに気付くために、お坊さんの修行では、まず肉や魚を食べるのをやめます。命の重みは同じですが、やはり動いている動物の方が、命を奪うという感覚を強く持つことになるからでしょう。そういう段階を経て、自分が他の命をいただかなければ生きていけない、ということに気付けるようになります。十分気付けるようになった段階で、どの命も平等にありがたくいただく、という考えのもとに多くのお坊さんは肉や魚をいただくのだと思います。
皆さんもご飯を食べる前に「いただきます」と言いますね。私たちが生きるために、命をいただきますという意味です。仏教では、虫一匹の命でも人間一人の命でも同じであると考えています。ですから、肉でも野菜でも基本的には同じで、何を食べようとも命をいただくことに感謝しなくてはいけないのです。
初めにあえて「殺してはいけない」とご紹介したお坊さんの決まりも、実はその前に言葉があり「むやみに殺してはいけない」となっています。「むやみに」というのは、辞書には「度を越した」という意味があると書かれています。つまり「むやみに殺してはいけない」というのは、必要もないのに命を奪ってはいけないということなのです。
そうやって突き詰めて考えると、食べることが悪いことのように感じてしまう人もいるかもしれませんが、そうではありません。地球上の生き物は皆食べて、食べられ、それぞれが何かの支えになって成り立っています。あり得ないことですが、もしもすべての生き物が食べることをやめたら、すぐに地球は生き物のいない星になってしまうでしょう。私たちが人間に生まれた以上、ほかの命をいただくことからは逃れることは出来ません。だからこそ、いただいた命に感謝して、美味しく食事を楽しみ、そのエネルギーを使って恩返しができるよう精一杯生きることが大切なのだと思います。